「完全なる経営」より。
***
仕事が自己に取り込まれている場合(程度の差こそあれ、仕事は常に自己に取り込まれているのではないだろうか。たとえ仕事に抵抗感を持っているときでも)、自尊心と仕事との関係は、以前私が考えていた以上に密接なものとなる。特に、健全で安定した自尊心(自分に価値があるという意識。誇り。自分は影響力のある、重要な存在だという感覚)をもてるかどうかは、立派な価値ある仕事を自己の内部に取り込み、自己の一部にできるかどうかにかかっている。現代人が嘆きを訴えるのは、誇ることのできない仕事や、自動化され、何の努力も要しないまでに細分化された仕事を受け入れざるを得ないという状況が、予想以上に進展しているせいかもしれない。
(中略)
言うまでもなく、真の達成のためには価値ある立派な仕事が要求される。くだらない仕事を見事にやり遂げたとしても、それを真の達成と呼ぶことはできない。「無益な仕事は、立派にやり遂げる価値がない」。これが私の考えだ。
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なんか写経っぽくなってきたぞ。
こういう文章もある。
***
価値ある大義や重要な仕事と一体化し、それらを自己の内部に取り込むことによって、自己を増大させ、その価値を高める。こうすれば、知能、才能、技能などが現実には不足していても、それを補うことができる。
(中略)
この世に存在する人間は、程度の差こそあれ、ちっぽけなものなのだ。そうであれば、偉大な事業に何らかの形で参加し、それと一体化することが、健全で強固な自尊心を確保する上で必要不可欠と言えるだろう(「よい」企業「名声を博している企業、優れた製品を製造している企業など」で働くことが健全な自尊心を抱く上で有効なのは、この理由による)。
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仕事が自己に取り込まれている場合(程度の差こそあれ、仕事は常に自己に取り込まれているのではないだろうか。たとえ仕事に抵抗感を持っているときでも)、自尊心と仕事との関係は、以前私が考えていた以上に密接なものとなる。特に、健全で安定した自尊心(自分に価値があるという意識。誇り。自分は影響力のある、重要な存在だという感覚)をもてるかどうかは、立派な価値ある仕事を自己の内部に取り込み、自己の一部にできるかどうかにかかっている。現代人が嘆きを訴えるのは、誇ることのできない仕事や、自動化され、何の努力も要しないまでに細分化された仕事を受け入れざるを得ないという状況が、予想以上に進展しているせいかもしれない。
(中略)
言うまでもなく、真の達成のためには価値ある立派な仕事が要求される。くだらない仕事を見事にやり遂げたとしても、それを真の達成と呼ぶことはできない。「無益な仕事は、立派にやり遂げる価値がない」。これが私の考えだ。
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なんか写経っぽくなってきたぞ。
こういう文章もある。
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価値ある大義や重要な仕事と一体化し、それらを自己の内部に取り込むことによって、自己を増大させ、その価値を高める。こうすれば、知能、才能、技能などが現実には不足していても、それを補うことができる。
(中略)
この世に存在する人間は、程度の差こそあれ、ちっぽけなものなのだ。そうであれば、偉大な事業に何らかの形で参加し、それと一体化することが、健全で強固な自尊心を確保する上で必要不可欠と言えるだろう(「よい」企業「名声を博している企業、優れた製品を製造している企業など」で働くことが健全な自尊心を抱く上で有効なのは、この理由による)。