まさかの日記

最近まともな文章しか書けなくなってきました

カテゴリ: 未来日記

ギャフンと言わせてやる、とまではいかないけどまあそれに近い思いはあったが、それももうできなくなったのな。とかいうとなんかカッコつけすぎだけどな。

これで全部かな。、

自分なんかは、わーわー言いながらいろんなこと、ちょっとあほなことや、頑張ったり、多少無茶したり、妥協したりしながらなんとかやっていく人生で、世界を変えるとか、一番になるとか、そういう志向は無く、身の回りとその周辺が楽しくしていられればそれでオーケーです。

が、だんだんとそうでも無くなっていくわけだが、それもまた許容できる程度に年は取る

問題はそのスピード。許容できる範囲を超えることがたまに起きる。それでまた、キャパが増える。

急にいなくなる、という種類のお別れは、これで二度目だけれど、よくよく考えると世の中のお別れのほとんどはそういうものだろうな。確率的に。肉親以外は。


あとこちらからすると結構な衝撃だけど、ご当人からするとこちらはワンオブゼムなので。
ここで自分がどうのこうのと考えたりスマホにこういう文字列入力してたりするのなんて意味ないです、ていうかそもそも意味なんてないのです。

って、もはやそういうことを確認することも伝えることもできない。自分なんかでもこんな感じなので、近くにいる方は、それは想像を絶する。

そういう喪失感だけでなく、それは自分にもそう遠くない未来に訪れる、そのことを思い出させられる。


あと、自分がいない世界のことなどどうでもいい、という考え方(?)もあるとは思うけど、でもこういうのをいくつかみただけで、少しは考えとくかな、と思うとおもう。昔の人はもっと身近だったわけで、そりゃ昔の人はいろいろ違うだろうなあと。

色々話したかった。残念。詳細はわからないけど。。

最近疎遠だったけど、そのうち相談しに行こうとか、色々思ってたことがあったのだが、そういうのを全て吹き飛ばしていくからな。。

じゃあまた、と言ってそれが最後の別れになることがあるから人生はわからん、と誰かが書いてたのを最近読んで、そう言うものかなと思ったけど、まさにそう言う感じな

結局最後まで観た。テレビ版。ほぼ覚えてなかった。
よくできてるなあと

やっぱりドミニクとアネモネを中心に観てしまう。

劇場版、どうするかなあ
多分今見ないと二度と見ないかもだが、普通に20年後とかにDアニ的なもので見てるかも。そう思うとなんか切ないものがあるな。。30年前のアニメ見て泣いてる老人、みたいな

全身麻酔を伴う手術を受けると、そんな想像をしてしまう

が、割と充実した人生だったように思います。

もっと色々やれたはずだろうけど、まだまだやれるはずだけど、能力的に普通な自分を受け入れてしまったし、情熱もなくなりつつあり、アイデアも浮かばなくなって来た。

これから先はやり方を変えないといけないのだろうけど、それには、新しく始まったアニメを見るのにも似た、脳の負荷が高い状態を乗り越える努力が必要で、めんどくさい。


世間ではそうかもしれないが、当社の置かれている環境ではそうではない

みたいな言説

ゲームのルールと理解してのるか、、そるか

それはそうだと思う。がそれとは別に最近思うこと


考える、というのは判断のパターン化

歳とると、パターンが増えて判断速度が増すが、フィードバックがかかりにくくなる

あと、前提条件の変化に気づかない

パターンを忘れる、パターンの存在自体を忘れる

考えなくなる、ということのかなりの部分はそういうことが起きている



なのでその辺手当すればOK

年上だから、年下だから
賢いから、アホだから
熱意があるから


と考えて、熱意がないやつにはさすがに道は譲れないなあ

学校の同期の話をじっくり聞く、という夢を見てた。
上京してから、努力して訓練し、あとはいくつかのラッキーを拾った、というような話だった。

そのあと、夢の中で自分のことを考えた。
割と先行投資が当たって、回収する、という流れが多かった気がする。
Unix/Linux、Webアプリフレームワーク(WebObjects)、Ruby、というあたり。
ここ数年はサービス運用から組織運営へと軸足を移しつつあるけど、投資に対する回収の率が悪い気がする。
理由を考えると、やっぱりプロダクトを作ってないからかな。運用だとどうしてもそうなりがちだから、もっとプロダクト作って、それをテコに業務改善する、という取り組みをやらねば。などと夢の中で思った、というw

20うん年前に上京してきて一週間、とかそのあたりの頃に戻った夢を観たなど。

履き終わった靴下が毎日一足ずつ増えていく。洗濯物を入れる容器が無いのでダンボールの引っ越し業者の箱にとりあえず入れて置いたりして、ああこれも自分で洗わないとだな、という漫然とした不安

どちらかというと、その頃のことを逐一思い出せなくなってきていることを不安に感じている、ということの方が大きいかも。

実際には上京直後は、結構浮かれ気味で不安を感じたりすることはなかったような。新人研修とかで毎日宴会だったし。

いつか僕も、実家の周りを見て回り目に焼き付けて、もうここには戻ることは無い、なんて時が来るのかな。


なんてことをfate/stay night ubwの最後から4話目を観ながら思った。

そんなわけで、ギリギリ識別可能な程度の大きさで全国紙に写真が載った件。。

多分、人生最初で最後だろうな。

色々な方面へ可能性を探るような動きを特に後半は心掛けてたけど、2015年はもうちょっと選択と集中を心掛けましょうかねえ

壁にあたると迂回路を探す(それも総当り的に)、そんなやり方をずっと続けてきたけど、時間をかけて壁を叩いて壊すようなやり方もそろそろ出来るようにならないと。。と思っていますが、3年後、5年後にはそれは実現出来ていますでしょうか。

親の面倒見に実家に頻繁に帰ってると言いつつ、単に親に甘えに行ってるだけだなあ、みたいなBlogをどっかで読んだけど、自分もそうだなあ。

時間は止まっているようでもやっぱり進んでて、なんだか人生の問題のほとんどは解決したような気がしていたけど全然そんなことは無くて、これはこれでちょっとやることが出来て嬉しいというような、そんな気もしつつ。

5年後、10年後はどうなっているんでしょうか。

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