重要で価値ある仕事をやりとげ自己実現に至ることは、人間が幸福に至る道であると言ってよいだろう(このことは、幸福を直接追求するのと比較してみれば、よく理解できる。幸福とは、何かに伴って生じる状態であり、副産物なのだ。直接求めるものではなく、よき行いに対して間接的に与えられる報酬なのである)。

(中略)

あるいは、単刀直入にこう言ってもよい。救済とは、自己実現をもたらす仕事や義務の副産物である(困ったことに、私の周囲にいる若者の多くが、自己実現を稲妻の一撃か何かのようにとらえており、ある日突然頭上から降りかかってくるものだと誤解している。皆、自分では何の努力もせず、稲妻の一撃をじっと待ち受けていたいという様子なのだ。自己実現は、ごく自然に突如として達成されるものであり、抑制や統制とは無縁のものだと決めつけている。私が我慢ならないのは、主にこの点、つまり、彼らが不屈の精神や粘り強さ、挫折に耐える力を全く備えていないという点なのである。彼らは、こうした能力が自己実現の対極にあるものと考えている。

(中略)

仕事を通じての自己実現は、自己を追求しその充足を果たすことであると同時に、真の自我ともいうべき無我に達することでもある。自己実現は、利己ー利他の二項対立を解消するとともに、内的ー外的という対立をも解消する。なぜなら、自己実現をもたらす仕事に取り組む場合、仕事の大義名分は自己の一部として取り込まれており、もはや世界と自己との区別は存在しなくなるからである。内的世界と外的世界は融合し、一つになる。同じことは、主観ー客観の二分法についても当てはまる。

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有名な、欲求のピラミッドみたいなやつを考えた人の書いた本です。書店ではほとんど見ることはないですが、、、自分は某社長から譲っていただきました。

これは読むと良いかも


無我の境地については、以前のエントリ「アフォの境地」をご参照ください。参照したからと言ってどうということはないですが。

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そういえば昨日のエントリについては、各方面から大きな反響がありました。
実際に責任を負ってやっている方の意見は、言葉の重さが違います。