究極的には信念?考えた時間の長さと深さ?
みたいなことをとにかく最近はずっと感じているんですが


というのも、なにかにおいて、
自分を通すには他人を退けないといけない
ので、そのためには
説得力を持たせるために論理の一貫性が要求されたり
もっともらしく喋ったり
納得感のある落としどころを探ったりする
わけなんですが

それ以前に、根っこの部分で
自分を通すということについて自分がそれをどれだけ深く信じているか
とか
そのことをどれだけ深い次元で長い時間考えているか
ということがすごく重要
というよりここだけがポイント
他は試験に出ません


というのを自分で思いついたわけじゃなくて
ここ数年、周りの人たちを見ていて思った、自分なりの
この先5〜10年くらいの間に対する行動指針
になりうるかなこれは

という今日この頃です。


PS
どうも精神論的になってしまうので
あまりおおっぴらにはこういう話はしないのですが
論理的であることを否定しているのではないです


PS2
論理的であることが要求される局面というのはもちろんあって
でも論理的であることがすべてにおいて正しいこと、
という風に捉えるのは間違いかなと

なにかの事象や、誰かの発言が
論理的整合性が保たれているように見えるとしても
それはそういう断面を見せているだけであって

なぜそのように見せる必要があってそうしているのか
というところが違う世界への入り口のように思います


PS3
またこれは余談になっちゃいますが
人間は年齢と共に論理的思考能力が高くなっていくらしいんですが
(自分はあんまりそういう感じはないけど
そのせいで論理的に正しいということが究極的に正しい
という勘違いをしてしまいがちな気が

でも世の中的には、
根拠も無いし論理的でもないけど正しい
ということがいろいろあって
そういうことにも気づいていくことで
バランスが保てるようになっていくように
できているのかも