まさかの日記

最近まともな文章しか書けなくなってきました

2006年06月

Amazon.co.jp:「個」を見つめるダイアローグ: 本より。



伊藤:
 じつは、アメリカの会社には総務と人事がないんだ。

村上:
 あ、そう。アウトソーシングしているの?

伊藤:
 いや、その部署ごとでやっているから。日本のように組織のようにどんと居座って、会社全体をしきっているような形じゃない。「ヒューマンリソース」というセクションがあって、人材に絡む問題への対処をしたり、なにかプロセスを作る役割の人たちはいるけれど、人事権はない。考えてみると、組織の真ん中に人事権をもっている部署があるというのは結構不思議。人事権はもっていたとしても、そこに居る人たちが責任をとるわけじゃないんだから。

 今のような情報社会では、判断基準となる情報がたくさんゆきかっているわけだから、それぞれの立場の人が、様々な時点で自らの判断で動く方がフレキシブルに対応できる。従来の秩序や価値観が壊れてきているとなれば、なおさらだよね。時には戸惑ったり、立ち止まって考えなきゃ行けない場面がますます多くなってくる。

 60年代のカウンターカルチャーを引っ張ったティモシー・リアリーがいっていたんだけど、「権威を疑って自分で考えて、そして行動を起こせ」と。それって、もちろん21世紀の今でも通用する話で、権威や従来の常識にそった考え方をしていると、それこそ怒りも表にでないし、行動も起こせなくなってしまう。日本の歴史もあまりよく知らないまま、日本の美学をとやかく言うのは気が引けるけど、今の日本の社会には、そういうピラミッド型のシステムに向いている「美学」が残っているのは確かだよね。日本人ってやっぱり、そういう美学が好きなのかな。

村上:
 何も日本人が美学をひたすら追い求めていた訳じゃないと思うんだけど、その美学って、ある時代にはとても合理的だったんだよ。合理性のないものは、僕は、絶対浸透しないと思う。上から命令的におりてきたことに従い、疑わずに一生懸命やるという生き方が合理的だった時代が、ずっと続いただけ。問題はその美学の善し悪しではなくて、それでは今の時代はやっていけないということ。それをメディアがうまく伝えきれていない。


***

村上龍の対談にしては珍しく結構聞き手に回っているというか、会話のキャッチボールができているというか。


どうやら最近のブームは「合理的」みたいですね。

理論的な部分と感情的な部分を並べて同時に喋ってても、もっともらしく聞こえるのは相変わらずです。



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